2013年4月29日月曜日

2007年の復刻版 その2

日記

おもちゃ絵画家・川崎巨泉の会・調査日記
巨泉について調べたことをメモ風にでも記録して行きながら巨泉研究のネタ帳としたいものです。
 
Wednesday, 21 March,2007
肥田先生からの手紙
元関西大学教授肥田晧三先生から肥田渓楓や渓楓発行の個人誌『あのな』についていろいろと教えていただいた。先生には感謝の言葉もない。これから記事にして行きたい。
Monday, 19 March,2007
巨泉の気になることの数々
巨泉の生きた時代で、それぞれに気になる時期がある。まず明治20年代、巨泉が浮世絵師中井芳瀧に入門した時期。日清日露の戦間期。この時期に巨泉は浮世絵と図案の世界にいた。そして浮世絵師の最末期に当たる。そして最初におもちゃ絵展を開いた大正5年からおもちゃ絵集を出した大正7、8年の時期。
 明治20年代の大阪の洋画、日本画の様子、当時の画塾などはどうなっていたのか。日清日露の戦間期の思想と巨泉が描いた大阪名所の表現との関係性などいろいろ。
 
Sunday, 18 March,2007
『関西モダンデザイン前史』
図書館に行った。そこに宮島久雄著『関西モダンデザイン前史』(中央公論美術出版 平成15年)があった。この本の”第二部、第二章 町のスタジオー『日本印刷界』関係”の”六 他の図案家、図案所”に川崎巨泉の記述がある。以下は部分の引用。
「川崎巨泉は大阪歌川系の画家中島一鶯齋の孫弟子にあたる。増本と同じく、画家出身の図案家画家である。」p299
 中島一鶯齋の名前は初めて知った。これは調べなければならない。
 もう1つ気になるものを見つけた。この章の[註]である。そこに以下のようにある。
”12『巨泉おもちゃ絵集』二〇集、東京おもちゃ絵版画会 大正七ー八年”とある。この東京おもちゃ絵版画会とは一体何なのか。東京は出版地で、おもちゃ絵版画会が出版者なのか。初めて見る出版事項である。
Thursday, 15 March,2007
交友関係
巨泉の交友関係を調べていくと大正から昭和の大阪の趣味人に出会うことになる。その一人が肥田渓楓である。また蘆田止水、青木賢肇もそうである。彼らが出版した個人誌や残された日記が大いに役に立つ。特に興味深いのは青木賢肇の『苔瓦堂日録』である。彼らの日記などによって大正期の大阪・京都・中部・東京の趣味人の一大コレクションができそうである。
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Last updated: 2007/4/13

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