2018年3月27日火曜日

私の好きと嫌ひ

 ● 人形、種々の田舎の玩具蒐集が好き

 ● 錦絵、絵本の蒐集に熱中し、それを画帖に仕上げるまでが楽しみであった

 ● 粘土で人形を作る事も好き 伏見から送ってもらった土をこねて作る事もある

 ● 糊を見ると何でもかんでも貼り付けたい 納札、縁起を貼った貼込帖が溜まって閉口している

   ● 納札は種々のものを揃えたが貼りに行かない

   ● 神社、仏閣の御印影を貰って歩くのが好き

 ● 縁日を歩くのが好き

 ● 飛行機のプロペラの音が好き

 ● 電車が好き、用もないのに乗りたがる

  ▶︎自動自転車の音が嫌い

  ▶︎大きな汽船に乗ったことがない

  ▶︎人車も乗らない
   
 最近の道楽は人魚という小雑誌を拵えたこと、これが下手の横好き

この7頁の最後に巌谷小波と淡島寒月の歌がある。二人とも巨泉が敬愛する玩具人、玩具趣味の先達であった。

花咲かばつげんと云ひぬ里の乳母    小波

浪花江に名も川崎のおもちゃ絵はきょせんの主としれる問丸                    寒月


 

土人形の顔

 「私は土人形の顔を見て居るのを非常に楽しみにして居る」で始まる短文。巨泉の言い分は「秋田の片田舎で出来た八橋人形などに何んとも云へない味ひのものがある、其描法は無論洗練されて居るからでもあろうが顔に一点の邪気がない、否味がない。」というもの。このあと巨泉は「世間離れのした田舎の朴訥な人形屋の親父」が孫のお守りをしながら、飴玉をしゃぶり、通りがかりの百姓と話を交わしながら人形の顔を描く、そんな親父が描く顔は都会人には到底真似ができないとしている。
 巨泉の頭の中には、都市と田舎、邪気と無邪気という対立があって常に後者に軍配をあげる。ここでも「世間離れした田舎」「朴訥な」という重要なキーワードが登場する。

見ぞこない

 この短文は、玩具趣味のない人には金輪際自己所有のおもちゃをあげたくないという話。それはあげた人形を赤ん坊がなめていたからというもの。

絵馬蒐集の断念

 巨泉にとって絵馬蒐集は新しい道楽だという。しかし巨泉はその蒐集を諦めた。その訳を綴った短文。それは巨泉が頼み込んで手に入れた絵馬、そのとき何と「大きな子持ちの蜘蛛」が巨泉の手の上に落ちてきたから堪らない。巨泉は絵馬を放り出した。それが断念の原因であった。巨泉が嫌いなもの。「蜘蛛」と「いりがら」とある。「いりがら」とは何だろうか。『広辞苑』第7版を引くと下記の語釈がある。

 いりがら(炒殻) ①クジラの脂身を細く切り、炒って脂身を取り、乾かした食品。②おからを炒って、味を添えたもの。
 




2018年3月26日月曜日

おもちゃ、縁起物、数へ唄  

 一位彫の鶏       *飛騨高山  
 二見の蛙         伊勢
 三春駒          磐城
 四天王寺の猫       大阪
 五色鈴          名古屋
   六地蔵の紙幡       山城
 七福神の起上り      加賀金沢
 八幡の楠鳩        岩清水
 九谷の人形        加賀
 十日戎の小宝       大阪今宮
 百まなこ         江戸時代
 千本箱          芝神明
 万燈           神田祭

 巨泉は地口や語呂合わせが得意であった。
 全国の巨泉ファンには掲げたおもちゃや縁起物が即座に頭に浮かんだことだろう。
 それが好事家たちの教養である。だからこの数え歌で巨泉の機智を楽しんだことだろう。
            
*リンク先の巨泉玩具帖の「一位彫の鳩」は石川県とある。

 

星夜おかしきひとつの仮面かぶりたり   桂川

おもちゃ絵にかけては天下一面のきみが鏡に集う泉倉                     虹衣


 5ページは上下2段。上段に巨泉所蔵のおもちゃの写真があって、其の左右に上記の歌がある。右に本山桂川、左に渡辺虹衣。

 虹衣の歌の「泉倉」は「伊豆蔵人形」(「御所人形の異称」と日本国語大辞典にある)のことか。あるいはこの場合、玩具全般を示したものか。

忘れられない松島の狐  巨の字

 「大阪の人なら屹度妙に艶っぽく感じられるかもしれない」で始まる巨泉、妻のはま子、門人の麗子が東京、日光、松島を巡った三人旅の落とし噺。
 三人の案内役のいたずら好きの善さんが「お稲荷さんの社」に奉納してあった「一対の土狐」をつかみ出して掌にのせた。巨泉が見ると「是は仙台の堤製のものだ、其古色、胡粉の色、丹の焼け方と云ひ頗るつきの掘出し物で珍中の珍である、欲しくて仕様がない」善さんの手から巨泉が自分の手に乗せようとした時、はま子と麗子が「おやめなさい」と止めた。帰りにも巨泉は社の扉を「細目」に開けてのぞいたが、持ち帰ることができなかった。
 あー残念至極。
「或る夜の夢に此お狐さんが枕頭に顕はれて何事かもの云ひたげに見えた」云云と堤製の狐に未練たっぷりの巨泉であった。

にんぎょ 碧水居 ー無邪気な玩具道楽宣言ー

 「 気まぐれに人魚というこんな薄っぺらな雑誌の様なものを拵えて見ました」と書きはじめた巨泉。
 人魚は「顔が女の様で乳のあたりから下が魚体」「啼く声が小児に善く似ている」「其の肉を喰ふと無病息災で長寿する」「いつまでも艶々と若返って歳をとらない」と人魚の特徴を述べ、
「其れで皆様方とゝもに此人魚の肉を喰った様にいつまでも若々と大いに努力して此複雑なる現社会を面白く愉快に活動を続けて行きたいと思っております」と文の前段をまとめる。
 
 「複雑なる現社会」「不真面目な現社会」から隔絶した玩具趣味を面白みがあると推奨する巨泉。

 田野登先生が「昭和初期の縁起物の語りー『上方』にみる郷土玩具趣味ー(『大阪春秋』平成24年 通巻147号 ー特集 おおさかの郷土玩具ー)で「郷土玩具蒐集家である川崎巨泉は、大大阪の時代、巷に流行するモダニズムを」よそに、好事家仲間と交遊する趣味人であった。彼ら『上方』同人たちは戦時統制による窮乏生活をよそに、「上方伝統」の保存にとどまらず、縁起物を創作し新趣向を競っていた。」、彼ら趣味人たちは「緊迫する「戦局」にいかなる眼差しを投げかけていたのであろうか。『明月記』(藤原定家)にある「紅旗征戎吾が事に非ず」に似たような高踏的な厭戦気分に、この趣味人たちはひたっていたのではあるまいか。」
 
 田野先生御指摘の通り、巨泉は現社会を「複雑」「不真面目」と捉え、現社会には目もくれず、玩具趣味人たちと無邪気に仲良く楽しく過ごすことが人生第一であった。この姿勢は『人魚』創刊号の「にんぎょ」で宣言されていた。
 
 


  
 

 

2018年3月24日土曜日

巨泉の個人誌『人魚』を読む

 『人魚』 1号


2018年3月23日金曜日

川崎巨泉 生誕140年

今、神奈川近代文学館で与謝野晶子生誕140年の記念展が開かれている。となると巨泉も生誕140年ということになる。共に明治10年、堺の生まれで二人の生家は近いところにあった。
 2016年2月から2018年2月末日まで北九州に単身赴任していたこともあり、巨泉についてこの2年間何の調査もできなかった。これではならじ。単におもちゃ絵画家にとどまらない巨泉の仕事をたどり直しながら、巨泉研究会を再開したい。