2019年9月30日月曜日

八百比丘尼入定御影

御影は巨泉の収集品ではない。知り合いの古書店から特別の計らいで譲っていただいた巨泉の個人誌『人魚』にあったもの。


人魚洞文庫絵本展覧会(昭和18年大阪府立図書館主催)目録の川崎巨泉画伯略伝

 巨泉の経歴を知ったのは「人魚洞文庫絵本展覧会目録」の28~29ページに掲載された「川崎巨泉画伯略伝」、そして「略年譜」30~32ページであった。これをもとに自著『和のおもちゃ絵・川崎巨泉』(社会評論社 2010)の「年譜」を書いた。しかし自著に掲載した巨泉の年譜はまだ完全したとはいえず、手入れが必要だ。
 この大阪府立図書館の「人魚洞文庫絵本展覧会目録」(昭和18年刊)に書かれた「川崎巨泉画伯略伝」が略伝ながら活字として最初に巨泉を紹介したものとして、ここに引用したい。

     
         川崎巨泉画伯略伝

 川崎巨泉、名は末吉、巨泉はその號なり。又芳齋、水居、人魚洞等の別號あり。

 川崎源平の三男、明治十年六月二日堺市神明町に生る。少にして畫を好む。

 明治十五年の頃、同市甲斐町居住中井芳瀧の門に入る。居ること數年、同二十九年出でゝ上京し、明年歸阪す。偶々師匠芳瀧その居を移して大阪南區鰻谷にあり、巨泉乃ち鰻谷宅に寓し、翌三十一年芳瀧の女マハ子を娶る。

 當初は主として新聞廣告下繪、摺物畫、其他風俗畫などを描く。明治三十六、七年の交より各地郷土玩具に趣味を有し、就中古玩を愛好す。その漸く湮滅せんとするを惜しみ、蒐集と寫生とに維れ努め、遂に「おもちゃ繪家」として大成せらる。

 揮毫するところ自筆畫帖に、「人魚洞文庫」繪本、「寫生帖」「おもちゃ國繪巻」「巨泉漫筆おもちゃ箱」「起上小法師畫集後篇」「おもちゃ千種」等あり。又自家版に「圖案小品集」「巨泉おもちゃ繪集」「巨泉漫筆おもちゃ箱」「郷土の光」「おもちゃ畫譜」等、だるまや書店版に「おもちゃ十二支」「おもちゃ十二月」「土俗紋様集」「おもちゃ博覧會」、木戸氏版に「起上小法師畫集」等あり。

 元来多趣多藝の人、輕妙なる文筆をよくし、俳諧、川柳にも秀ず。惟に郷土玩具が單なる趣味を脱して、社会的に深き根柢を有する民族藝術としての價値を認められ、所謂おもちゃ界をして今日の隆運を齎せしめしもの、全く画伯の賜と謂つべし。

 昭和十七年不幸病魔の襲ふところとなり、九月十五日と云ふに大阪市住吉區(新區名阿倍野區)天王寺町の寓居に歿す。享年六十六歳。




     



川崎巨泉畫伯遺墨 人魚洞文庫繪本展覽會目録 の序文 大阪府立図書館

大阪府立図書館が昭和18年9月「川崎巨泉畫伯遺墨 人魚洞文庫繪本展覽會」を開催した。その展覧会の目録から序文を紹介する。



 昨年九月人魚洞主人川崎巨泉画伯逝去せらるるや、その遺族、画伯畢生の玩具写生帖「人魚洞文庫」百二十冊外に索引四冊を添え挙げて本館に寄贈せらる。

 画伯はもと浮世絵師歌川派芳瀧の門に出づ。夙くより郷土玩具に趣味を有し、その蒐集と調査とに力を致す。描くところの古玩、郷玩数千種に及ぶ、即ち「おもちゃ画家」として明治末期より大正、昭和の三代に亘り、特異の存在たりしは、斯界の熟知するところ、敢て贅言を要せず。

 今や挙国大東亜建設に奮闘しつゝあるの時、本邦固有の古玩、郷玩を通じて、聊か日本民族精神の把握と、尚武の民風作興とに資する所あらんとし、茲に「人魚洞文庫絵本展覧会」を開催す。適々故人の周忌に際会し、画伯追慕の情切なるものあり、乃ち諸家に請ひ、画伯の遺墨、遺愛の玩具等を恩借し、併せて一堂に展観し、汎く遺芳を伝へんとす。

 目録成るに当り出陳賛同の各位に深甚の謝意を表すると共に一言述べて序となす。

    昭和癸未年九月

 
     大阪府立図書館長 長田富作




ちどりや営業課目

巨泉は、京都「ちどりや」の店主田中緑紅とは、緑紅が出版した『郷土趣味』以来のお付き合いであった。巨泉は、ちどりやが出した『鳩笛』の表紙を飾る版画を制作した。
営業課目の最後に巨泉がある。


『鳩笛』第5号の「ちどりや営業課目」を書き抜いてみる。

      ちどりや營業課目

ヤゝコシイ店で、本やらしいが、何が何やらわからない店です。ザーツと陳べますと

▽土俗、考古、傳説、風俗に關した書籍類
▽旅行、地誌、名勝案内等の書籍類
▽特約しておいてあるものには

東京半狂堂の外骨氏の編輯になる數々
東京郷土研究社の爐邊叢書二十餘種
東京大岡山書店發行のもの
東京福永書店の「新舊時代」
東京開化書舗の「開化草紙」
東京伊勢辰店の木版畫
東京山内神斧氏の「壽々」
東京吉田永光氏の「音樂會」
東京片岡平爺氏の「佐四郎畫會」
濱松土のいろ社の「土のいろ」
名古屋寸葉會の「寸葉趣味」
名古屋江戸軟派研究所の「江戸軟派派研究」
岐阜川柳研究會の「柳樽の研究」
岐阜よのころ社の「よのころ」
京都風俗研究所の刊行物
兵庫上方趣味社の「上方趣味」
大阪玉樹香文房の「典籍研究」
京都大學堂の「書物禮讃」
大阪名物特産社の「遊覧と名物」

▽寶船、京都、東京、大阪、名古屋の各種
▽祝儀袋各種
 百種百枚 貳圓廿錢 百五十枚 三圓四十錢
  二百枚 四圓五十錢 二百五十枚 五圓七十錢
  三百枚 七圓五十錢 五百枚 十三
▽宮尾しけを氏の漫畫 五種一組 廿五錢
▽川崎巨泉氏筆地方玩具五十枚一組 二圓五十錢




2019年9月25日水曜日

『烏城』 地蔵号 巨泉の記事 

『烏城』第七号 大正14年8月30日発行

巨泉は「地蔵供雨(じぞうくあめ)の事」という記事を書いている。

「大和南葛城郡下田村附近の農村では七月二十三日に地蔵祭りをやります。夜になると村女子供などが、堤燈をもって、各村の石地蔵さんへいろいろの御供へものや、にぎりめしなどを携へて集ります。お供へものは 一度供へて 後子供等が貰ひます。是れは稲の植付けがすんで農家では水がどうしても必要なのでお地蔵さんに御供へものをして 雨を降らして頂くお祭りだと云ひます、其の日に三粒の雨が降っても其年は豊年だと云って農家では大辺喜びます。是が地蔵供雨の由来ださうです。」(後半略)

日付は「大正14年7月26日記」とあります。


2019年9月24日火曜日

丹波稲畑人形

巨泉は「稲畑人形」を何点か描いている。

中でも傑作は「お札(おふだ)博士」フレデリック・スターの「お札博士人形」だ。

九十九豊勝から送られた「高さ七寸六分、丹波稲畑人形師赤井作」とある。

スター博士の生前、巨泉も交流があった。

お札博士人形の作者赤井とは、二代若太郎佐久か三代若太郎直道か、どちらだったのだろう。




軟派研究 第3輯 

この『軟派研究』第3輯の編集発行人は柏木真宝。

大正14年9月30日印刷 大正14年10月1日発行 非売品 編集兼発行人 神戸市大同町3丁目 ミナト図案社内 柏木真宝 発行所 神戸市大同町3丁目91-1 ミナト図案社

 記事「土俗玩具展覧会」
「川崎巨泉氏、山内神斧氏、西沢笛畝氏、等が土俗玩具の大家である事はみなさん先刻御承知」と書き出し、神戸大丸で「全国古今の珍しい、土俗玩具約三百余種の展覧会が開かれ同好者の為に即売された。」とその様子を報告している。




2019年9月3日火曜日

かぼちゃ あのな 掬水庵漫筆 第一集 肥田渓楓

製作者  肥田弥一郎(号 渓楓)  表紙のかぼちゃの絵は「之は大正二年頃に川崎巨泉君に揮毫を願って、木版に彫刻さして其のまゝに投込んであった古版木」p1

あのな     第七号    「眉唾の記事」「大正四年三月十五日発行「新大阪の人」所載大阪発行  合名会社虎屋銀行重役   肥田彌一郎君」p11
「君は故彌兵衛翁の三男、明治十年二月を以て生る、北野中学に学びて秀才と謳はれ更に高等の学海に棹さんとしてゐたが、健康の許さゝ(ゝに点点)るありて学窓を退き、身を閑地に処して静養の傍ら、泉原凖造師に就きて漢籍を修め、造詣浅からずと聞く、体躯極めて肥満、健康も今は強健に復して堂々たる偉丈夫、又頗る読書趣味に富んだ人物で、多年の間古今の珍書を蒐集するを以て唯一の楽しみとして居られたが、先年家督を相続せられた以来は、文庫建設の志を起して」云々。

何故、渓楓は「眉唾の記事」としたのか。
第一号に書いている。
「悲しい哉漢学や国学の修養が足らないイヤイヤ(原文は繰り返し記号)無いのだから駄目太ナーと嘆息し通しだ。してみると矢はり国漢学は何日の時代に成っても必要だナーと誰にも能くある若い時の不学を悔んで居る。」p6