2018年3月27日火曜日

土人形の顔

 「私は土人形の顔を見て居るのを非常に楽しみにして居る」で始まる短文。巨泉の言い分は「秋田の片田舎で出来た八橋人形などに何んとも云へない味ひのものがある、其描法は無論洗練されて居るからでもあろうが顔に一点の邪気がない、否味がない。」というもの。このあと巨泉は「世間離れのした田舎の朴訥な人形屋の親父」が孫のお守りをしながら、飴玉をしゃぶり、通りがかりの百姓と話を交わしながら人形の顔を描く、そんな親父が描く顔は都会人には到底真似ができないとしている。
 巨泉の頭の中には、都市と田舎、邪気と無邪気という対立があって常に後者に軍配をあげる。ここでも「世間離れした田舎」「朴訥な」という重要なキーワードが登場する。

見ぞこない

 この短文は、玩具趣味のない人には金輪際自己所有のおもちゃをあげたくないという話。それはあげた人形を赤ん坊がなめていたからというもの。

絵馬蒐集の断念

 巨泉にとって絵馬蒐集は新しい道楽だという。しかし巨泉はその蒐集を諦めた。その訳を綴った短文。それは巨泉が頼み込んで手に入れた絵馬、そのとき何と「大きな子持ちの蜘蛛」が巨泉の手の上に落ちてきたから堪らない。巨泉は絵馬を放り出した。それが断念の原因であった。巨泉が嫌いなもの。「蜘蛛」と「いりがら」とある。「いりがら」とは何だろうか。『広辞苑』第7版を引くと下記の語釈がある。

 いりがら(炒殻) ①クジラの脂身を細く切り、炒って脂身を取り、乾かした食品。②おからを炒って、味を添えたもの。
 




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