2019年9月3日火曜日

かぼちゃ あのな 掬水庵漫筆 第一集 肥田渓楓

製作者  肥田弥一郎(号 渓楓)  表紙のかぼちゃの絵は「之は大正二年頃に川崎巨泉君に揮毫を願って、木版に彫刻さして其のまゝに投込んであった古版木」p1

あのな     第七号    「眉唾の記事」「大正四年三月十五日発行「新大阪の人」所載大阪発行  合名会社虎屋銀行重役   肥田彌一郎君」p11
「君は故彌兵衛翁の三男、明治十年二月を以て生る、北野中学に学びて秀才と謳はれ更に高等の学海に棹さんとしてゐたが、健康の許さゝ(ゝに点点)るありて学窓を退き、身を閑地に処して静養の傍ら、泉原凖造師に就きて漢籍を修め、造詣浅からずと聞く、体躯極めて肥満、健康も今は強健に復して堂々たる偉丈夫、又頗る読書趣味に富んだ人物で、多年の間古今の珍書を蒐集するを以て唯一の楽しみとして居られたが、先年家督を相続せられた以来は、文庫建設の志を起して」云々。

何故、渓楓は「眉唾の記事」としたのか。
第一号に書いている。
「悲しい哉漢学や国学の修養が足らないイヤイヤ(原文は繰り返し記号)無いのだから駄目太ナーと嘆息し通しだ。してみると矢はり国漢学は何日の時代に成っても必要だナーと誰にも能くある若い時の不学を悔んで居る。」p6




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